中根周歩『水源の森講議』2001.11.29
なかね・かねゆき/広島大学大学院生物圏科学研究科教授(森林生態学)/日本生態学会中国四国地区会会長


はじめに

 こんばんは。広島大学の中根です。今日はよろしくお願い致します。

 かねてより私は、森林生態学の立場から、それぞれの流域(集水域)の自然の特牲に適した森林の管理、林業の施業を行うべきだと提案してきました。私たちは一つの川の流域全体で、人間も含めた生態系の問題をトータルにみていく必要がありますが、そのなかで上流域、中流域、下流域という個々の地域の自然条件にふさわしい森林のあり方を考えていかなければなりません。

 今日は、太田川の源流、特に貴重な自然が遺された西中国山地国定公園を中心に、この21世紀にどういった森林像を描くべきか、私なリの考えをお話したいと思います。西中国山地国定公園の森林の多くは水源酒養保安林でもあり、水源の森の未来は、太田川の未来だといっても言い過ぎではないと思います。

 誤解がないよう始めにお断りしておきますが、私は、針葉樹(スギ・ヒノキ)の植栽、すなわち林業施業のための自然林の伐採や人工林化を決して否定しているわけではありません。太田川流域でも、特に中流域では間伐などの手入れを十分に行い、同時に経済的にもそれを実現できるシステムを構築しながら、積極的に林業経営をしていくべきだと考えています。ただ、材生産としての林業に適したエリアと、そうでないエリアがある。そして残念なことに、戦後行政の指導で地形や標高を無視した拡大造林が遮二無二行われ、それが現在まで十分な手入れもされず放置されている。この現実をどう乗り越えていくかという大きな難題を抱えながら、私たちは新しい森林の管理の方法を探っていく必要があります。

 それから、必要性の疑わしい、あるいは水源林としての機能を著しく損いかねない、開発の間題があります。西中国山地国定公園の中には稀有ともいえる、不用意に人間の手が入ると容易に取り戻すことのできない自然があります。21世紀は、その自然を本当の意味で護っていくことが地域振興を実現するような、そういう方法を見いだしていかねばなりません。

 今日はこれらの間題について現状を踏まえて、私なりの提言をしたいと思います。





源流のブナ林帯の人工林を自然林に戻そう

 太田川の最上流域、ここで最上流域とは、立岩・樽床・王泊の三つのダムより上流だと考えていただければいいと思います(図1)。吉和村と芸北町、標高で考えると戸河内町の一部が最上流域になります。吉和村・芸北町・戸河内町では、戦後の拡大造林で、標高800メートルを超えるようなとこうにまで、スギ・ヒノキの植栽が行われました。標高800メートル以上の地域は本来、ブナ林帯になリますが、そういうところにスギ・ヒノキを植えると非常に生長がよくない。この部分の人工林化は生態学的にもリーズナブルではありませんし、林業としての採算性もきわめて疑わしい。しかし現実に太田川の最上流域のかなりの部分を人工林が覆っています。吉和村・芸北町・戸河内町の山林の3割・4割が人工林です。

 結論から申しますと、私はこれらのブナ林帯の人工林は将来的には自然林に戻してやるべきだと考えています。そしてできるだけ手を入れないようにして、原生の状態に近づけてやる。その方が、治水、治山、利水、水質、さらに経済的にも全ての点で最終的に得になります。私の研究室では、その科学的な根拠を明らかにしてきました。

●広葉樹林の高い浸透能が「緑のダム」を造ってくれる

 治水・利水という観点から森林を考える場合、土壌の「浸透能」がポイントになりまず。「浸透能」とは、その士壌に水がしみ込む速さを相対的に数値で表したもので、この値が高い土壌は降った雨を速やかにしみ込ませる、つまり保水カが大きいことになります。浸透能を測るには、斜面に底なしの20〜30センチ径の円筒を埋め、水を一定水位まで入れます。水が士壌にしみ込んでいく速さ、ある一定の水位からある一定の水位まで、たとえぱ50ミリ落ち込むのにかかる時間を測ります。その値を「浸透能」として表現します。

 私たちの研究室では、斜面の傾度や土質など他の条件をいっしょにしておいて、植生による浸透能の違いを、できるだけ多くのデータを採って調べてきました。図2は吉和村の中本林業の所有地で浸透能を調べた結果です。ここには一つの斜面に様々なタイブの森林があります。最近植えた人工林、壮齢林、スギの天然林、それから広葉樹の二次林があります。図からお分かりのように、若いスギ林は浸透能が非常に低いです。これに対して同じスギ人工林でも壮齢林では浸透能がずいぶん高い。このスギ壮齢林では間伐が十分されていて、林床に光が良く差し込むので広葉樹が中・下層部に生えています。スギの天然林はさらに浸透能が高い。スギ天然林では、上の方にも広葉樹が見えるぐらい入ってきている。最も浸透能が高い、つまり保水カが高いのは広葉樹二次林です。

 なぜ広葉樹林だと浸透能が高いのか──。それは広葉樹林の林床に落葉による腐植が蓄積するからです。腐植が士壌動物に好まれる餌になります。彼らが腐植をこねくり回してくれるおかげで、スポンジ状の士壌ができます。スポンジだから水は表土を流れないで、スーッと入っていきます。

 ところが、スギ・ヒノキは、非常に腐植が硬くて、土壌動物に嫌われます。スギ・ヒノキ林の腐植には、リグニンという一種の難分解牲の物質がある、それから、チッソが少ないから餌としてよくない。だから、土壌動物が量的にも少ない。そのために、土壌がどうしても硬くなる。ヒノキだと、腐植が下にみんな流れてしまう。そうすると裸地化というか、引っかいたような森林土壌になってしまうんですね。逆に広葉樹林では、スポンジのような土壌に樹木の根が張りめぐらされて斜面でも表土が流れない。したがって、人工林でも間伐が十分に行われて、間に下草や広葉樹が生えれば生えるほど浸透能が上がるわけです。

 実は、これまでも多くの研究で人工林や広葉樹林の浸透能が調べられてきました。それらのデータを統計的に処理した結果、人工林と広葉樹林の浸透能には有意な差がないとされていました。しかし浸透能は、植生や間伐の程度など以外の他の要因によっても大きく変動します。従来の研究ではそれを無視して一まとめに統計処理をしていた。そうではなくて、私たちのように斜面の傾度や方向、士質などを統一して浸透能を比較すれば、あらゆる場所で広葉樹林が人工林より浸透能に勝れています。



写真1. a.間伐がされていない人工林  b.比較的間伐が施された人工林 c.太田川源流(十方山林道付近)の自然林

 さて、この浸透能の違いが、洪水や渇水の時の河川への水の出方に決定的に影響します。一例として、1988年に加計町で士石流が発生して、11名の方が亡くなった場合について考えてみました。この地域で実際に入工林と広葉樹林の浸透能を比べた場合、広葉樹林が人工林のおよそ2倍高い(図3)。ここで土石流災害が発生した時と同じ降水が起こったときに、河川への流出がどうなるかシミュレーションしてみました。そうすると、同じ雨でも、ピーク時の流出量は人工林の方が広葉樹林よりも五、六倍も高くなる(図3)。このシミュレーションでは、浸透能の違いによって、地表層の水が地下の中間滞水層へ移動する係数が変わるだけです。それだけでピーク流出量に五、六倍もの差が出てくる。この結果は、広葉樹林の高い浸透能が洪水時のピーク流量を大幅に下げてくれることを示しています。



 それだけではありません。特に手入れが行き届いていない入工林は非常に崩れやすい、斜面崩壊を引き起こしやすいという問題があります。太田川の上流域ではないんですが、1999年6月29日の集中豪雨による大災害が発生した時に、最も降水量が多かったエリアを踏査して、どういう場所が崩れているのか、徹底的に調べてみました(図4)。

 崩れたのは松枯れ地帯が60%、人工林が40%で、人工林では30年生以下のスギ・ヒノキ林がほとんどです(図4)。もともとこのエリアにはアカマツ林が非常に広く分布していますから、それぞれの面積比率から言いますと、スギ・ヒノキの人工林がとても高い比率で崩れていることになります。人工林は植栽〜伐採の繰り返しになりますから、根系が十分に発達できません。だから、非常に崩れやすい。

 逆に渇水のときはどうかと言いますと、広葉樹林は浸透能が高いために同じ降水量でも基底流出量の割含を大きくしてくれます。基底流出とは、地中深く浸透し、地下水となって時間をかけてじっくりと流れ出る水のことです。基底流出量が増えると、渇水期に無駄に海に流さずに利用することのできる水量が大きくなります。これがいわゆる「緑のダム」です。今日はご紹介しませんが私たちの計算では、太田川最上流域の人工林を広葉樹林に転換することで、立岩ダムの貯水量に相当する「緑のダム」を造ることができることが明らかになりました。





●手付かずの森林は清流を維持する

 利水や治水・治山という点で水源の森には自然林(広葉樹林)がふさわしいことをお分かりいただけたと思いますが、森林にできるだけ手を入れないことは、河川の水質の安定にも寄与します。たとえば琵琶湖研究所の研究では、滋賀県の小さな実験集水域で森林(広葉樹林)を伐採する前から水質を調査しておいて、伐採した場所としなかった場所で水質の変化を比較しています。表1からお分かりのように、伐採の直後の年は濁り(SS)が高くなっています。それから注目されるのは、チッソ、特に硝酸態チッソが非常に増えていることです。追跡調査では、一年目より二年目、二年目よリ三年目、とかなり長期にわたって、土壌の中のチッソ成分が硝酸イオンとして流出することが分かっています。

 土壌中のチッソは酸化して硝酸になるわけですが、植物があると、硝酸態チッソがアンモニア態チッソヘ移行して肥料として根から吸収されていきます。ところが伐採によって根系の吸水カが低下すると、硝酸からアンモニア、アンモニアが肥料として植物に除去されるというプロセスが途絶えてしまいますから、溜まり過ぎた硝酸態チッソが下流に出てしまうわけです。

 河川の富栄養化はチッソやリンの増加により引き起こされますから、この調査の結果は、森林の伐採が富栄養化を進めてしまうことを物語っています。水源林を人工林にするということは、まず天然林を伐採して、それ以後も伐採と植栽を繰り返すということになります。伐採が行われれば、河川の水質を悪化させることになリますから、どう考えてもこれは水源の森としてはふさわしくありません。

●人工林から広葉樹林への移行を

 以上のように、水源の森としてのあらゆる機能から考えて、太田川最上流のブナ林帯の森林は、手付かずの自然林であることが望ましい。しかし現実には、そこには人工林が広がってしまっている。じゃあどうするか。いずれにしろ、これらの人工林は材生産では採算が合いません。だから、まず速やかに強間伐をして、当面は針広混交林にして、将采的にはもとの自然林に戻していく必要があリます。作業的には、これは難しいことではありません。強間伐にしさえすれば、一、二年で下草は生えてきますし、ほっておけば広葉樹も入ってくる。混交林になってしまえば、そのままにしておけぱ、最終的には広葉樹林に移行していきます。わざわざ広葉樹を植栽する必要もありません。ただ、現在は間伐してもお金になりません。伐ってから運ぴ出す方が損になりますから、よほどの急傾斜地でない限り、経済的に難しいのであれば、私は伐リ倒しでいいと思います。伐り倒しでも、表士が守られていたら、倒木が災害の原因になることはないと思います。

 これは私が実際に体験したことですが、大台ケ原では年間4000ミリもの雨が降るんですが、倒木がたくさんあっても大雨で水が濁ることはありません。スポンジ状の表士が守ってくれているからです。

 現実には大きな間題があります。太田川最上流域の多くは民有林ですから、林業で生計を立てておられる方々がおられます。人工林を広葉樹林に転換するということは、材生産というご商売をやめていただくことになります。もちろん現状では材生産は全くお金になりませんから、広葉樹林に転換することが、山林を経営される方々にとってもより魅カ的なものになるよう、財政システムや税制面での補助など、流域全体で考え、具体化していく必要があります。だからまずモデルケースとして国有林で広葉樹林への転換を図り、範を示していくべきではないかと思います。

 既に四国の吉野川では、流域全体の人工林を強間伐することによって、「緑のダム」による治水を実現するための研究が住民の呼びかけで始まっています。太田川でも、流域の自然に即した形で取り組んでいくべきはないでしょうか。

●自然を本当に活かした地域振興を

 太田川流域全体での水利用や防災からみて、水源の森はできるだけ手付かずの自然林にすべきであることをお分かりいただけたと思います。ところでこの水源の森──西中国山地国定公園には、いまでも、非常に貴重な生態系が遺されている場所が少なくありません。これらの生態系は非常に繊細で、わずかな人為的な操作でも、大きなダメージを受けてしまいます。

 しかしその生態系も、大規模な開発や必要性の疑わしい公共事業によって破壊されつつあります。今日は、聖湖(樽床ダム湖)畔の別荘地開発の問題と、そしてこれが今日の本題の一つでもあるのですが、大親模林道化が計画されている十方山林道の間題を考えてみたいと思います。

●聖湖畔の別荘地開発

 現在私の研究室では、芸北町の聖湖畔で行われている宅地開発の環境への影響を詳しく調べています。聖湖畔に素晴らしい広葉樹林があるんですが、そこが買い占められて、大々的に宅地(別荘地)開発されています(図5)。なんでも「自然と共生するリゾート住宅地」ということだそうですが……。幸か不幸か今のとこう売れているのは二十軒だけだそうです。おかしなことですが、最初のまだそんなに家が建っていないうちは、眺めも良くていいかもしれませんが、この工事が完成してしまうと、広島市内の団地と何も変わらないじゃないか、ということになってしまいます(笑)。さらに、別荘地へのアクセスを良くするためにという理由で、聖湖周遊道路の拡幅工事も行われています。この宅地造成と道路の拡幅工事が様々な間題を引き起こしています。

●工事が終わっても濁流が出る

 開発地域の中で、既に開発が終わっているところと、そうでないところの沢の水を調べました。開発地の下流では、時間降雨が20ミリ程度のちょっとした雨でも、大変な濁流が出ています。もう工事が終わっているので、本当は10ppm以下じゃないといけないんでずけども、その百倍くらい、一番ひどいのは1500ppmぐらいの濁りが出ている。工事中の環境基準でも200ppmです。何回測っても同じで、高濃度の濁流が出ています(図6)。開発を行っている業者は「そんなことはない」と言っていますが、写真2をご覧になれば一目瞭然です。これはひどい。





●「水みち」が変わって貴重な植物群落が壊される

 この別荘地では、別荘と聖湖周遊道路をつなぐ道が造られています(写真3)。道路造って舗装をするときに、雨水を逃がずために水を集めて管で流すようにします。しかしこういうちょっとしたことが「水みち」を変えてしまい、湖畔の植物に悪い影響を与えます。これはほんの一例なんでずが、写真の道路の下、聖湖におリる斜面に、芸北町が湿原で一番の売り物にしている、カキツバタの群落がありました。ところが、このカキツバタが最近全く元気が無い(写真4)。

 カキツバタという植物は、水面から首を出して生えられる場所を好みます。そうでないところは、カキツバタがあっても、他の水生植物が入ってきて、その競争に負けてしまいます。だから他の植物が入って来れない程度の水深があって、水が流れてくるようなところ、こういうところでしか、カキツバタは生息域を守れない。以前はこの場所もそういう場所だったんです。

 ところが、現在は水が流れていません。干上がってしまった。ここのところだんだん陸化して、ススキとか、ハナショウブだとかが入ってきた。カキツバタの群落は消えようとしている。

 その原因は、宅地開発で道路を造ったことにあります。道路を造る前は、カキツバタの群落を通る「水みち」がありました。ところが、道路を造った時に、その水を、下水管を通して全部よそへ流すようにしてしまった。だから水が来ない。結果としてカキツバタが弱ってきた。これからさらに周遊道路を拡幅すれば、斜面を埋めたりアスファルトを入れたりするので、ますます「水みち」が切れてしまいます。カキツバタを移植するしかありません。道路を造るときにちょっと「水みち」を変更するだけでも、貴重(希少)な植物群落を壊滅させてしまうわけです。こういうことが国定公園の中で現実に行われています。

 別荘地開発のために広葉樹を伐採してしまったこと自体大変な間題ですが、都市住民が都会的な生活を持ち込むための別荘地造成や周遊道路の拡幅・舗装工事が、自然を売り物にしながら、緒果的にその売り物の自然を取り返しのつかない形で壊してしまっています。



写真2.左が開発地から流れ込む濁った水        写真3.聖湖畔周遊道路と別荘地との連絡道



写真4.他の植物が侵入し、カキツバタが弱ってきった


聖地としての水源のブナ渓畔林をまもろう──十方山林道の未来への提言

●中国地方唯一のイヌブナ渓畔林が林道沿いに存在する

 
戸河内町二軒小屋と吉和村中津谷の間、十方山の北側の麓に「十方山林道」という小さな林道があります(図7)。十数年前、何度かこの林道を通ったことがありますが、中国山地にもこんな素晴らしいところがあるのか、と本当に驚きました。イヌブナを中心とした自然林がまとまっている。それだけではなくて、ブナ林が、渓畔林(渓流の水際の林)としてかなりの距離続いている。広島も、中国山地もなかなか捨てたものじゃないな(笑)、そう実感した記憶があります。

 七、八年前、私は、広島営林署管轄の国有林を今後どうするかという検討委員に選ばれまして、こういう自然豊かな国有林は、「不伐の森」としていっさい手をつけない形で、保全すべきではないかという意見を申しあげたことがあります。十方山林道沿いに展開するブナ林は、それは見事なものですが、実はブナ林は細見谷の谷底に細く残っているだけで、周囲には主にスギの人工林が広がっています(図8)。人工林は戦後の拡大造林で植林されたものです。このあたりは標高700メートル、800メートルを超えているようなところですので、本来、スギ・ヒノキの生育は非常に悪く、採算性を疑わざるを得ません。それから、このような奥山への拡大造林は、ツキノワグマのような野生生物の棲息域を大規模に破壊してしまったという面もあります。十方山林道周辺のブナ林は、国の指導による山林への一斉拡大造林を運良く免れて、現在まで細々と維持されてきた責重な渓畔林です。




●森林生態学からみたイヌブナ渓畔林の意義──渓畔は水循環の心臓部である

 では、十方山林道沿いに残っているイヌブナを中心とした渓畔林は、森林生態学から見てどういう意味があるのか──。渓畔というのは、出てきた水が河川に流れ込む、ちようど境界なんですね。表層を流れる水だけでなく、地下を通る水(基底流)も、渓畔では湧き水としてでてきます。河川が底になって、岩盤に近いところでずからどうしても水が湧いてくる。渓畔は上(山体)から来る水と河川水のバランスで保たれた湿地帯として存在しています(図9)。十方山林道の渓畔林は傾斜が非常に緩いので、水溜りや湿地がたくさんできています(写真5)。最近渓畔の生態学的な研究が進んできています。渓畔の水溜りやなだらかな渓流は、そこに棲んでいる魚類にとってとても大事な場所、つまり産卵や稚魚が生育する場所になります。どこからが陸でがどこから渓流か区別がつかないような曖昧なエリアが、実は川に棲む魚類にとっては非常に大事だということが明らかになっています。湿性の場所に分布するさまざまな植物、動物の生活の場でもあり、中には非常に希少な種類も棲息しています(写真6)。

 それから、これが重要なんですが渓畔は水質浄化の場でもあるんですね。ちょっと横道にそれますが、いま有明の干潟を埋め立てたために、海苔ができなくなった。その原因として、水質が悪化したためにプランクトンが増殖して栄養を奪うので、海苔に栄養がいかない、黒くならないというメカニズムが考えられています。干潟にはいろんな生物、微生物が棲んでいる。その生物たちが流れてきた水を浄化して、有明海に送ってきた。そういうシステムがあったからこそ初めて海苔が養殖可能だったわけですね。ところが、堰を造ったために広大な面積の干潟が陸化して、浄化能カが非常に落ちてしまった。そのために浄化されずに有明海に注いだ水が富栄養化を促進して、プランクトンが増殖してしまった。

 渓畔というところは、森林──河川の水循環において、干潟と同じような役割を担っています。水質浄化に非常に重要なんですね。中村太士さんの研究によれぱ、森林から出てくる硝酸態のチッソが渓畔によって吸着されるということです。多少汚れた水が来ても、渓畔を通すと、きれいになってしまう。それだけいろんな生物が渓畔に棲んでいる。さらに、イヌブナだけでなく湿地性の樹木が存在することによって、洪水の時に水が増えても土砂が流れないよう維持されてきたわけです。


写真5.細見谷の渓畔林(十方山林道付近)  写真6.細見谷の渓流に棲むゴギ



●「水際」(渓畔)は極めてデリケートである

 ところがこの渓畔林というのは、非常に微妙なバランスの上に成立していて、そのバランスには限度があります。ちょっとした環境の変化に非常に弱い。たとえぱ、流れ込む水の量や「水みち」がわずかに変わるだけで渓畔は陸化し、渓畔林として維持できなくなってしまう。

 非常に繊細です。渓畔はちようど河川と山体との境界にあり、一番水が集まるところです。だから、渓畔林やその周辺を伐ったり、削ったりというのは、水質・水量に非常に大きな影響を及ぽすことになります。それだけではなくて、渓畔のバランスというのは、その流域(集水域)全体の森林をきちんと保全しないと壊れてしまいます。渓畔の上の斜面を伐採したりして大量に出てくる水には耐えられない。したがって渓畔と山体の境界というのは、渓畔林にとっては生命線なのです。ところが、かつてその生命線を工事して林道を造った。それが今の十方山林道なんですが、その林道は非常にちゃちなものだったから、渓畔のイヌブナ林に決定的なダメージを与えなかった。だからこの渓畔が生き延びてこれたと考えられます。

 そして流域を入工林にするために皆伐した。それでも細見谷の渓流が乱れなかったのは、イヌブナを中心とするまとまった広葉樹林が、いまも保全されているからでしょう。しかしそれでもあれだけ人工林化したら、集中豪雨などで相当水や士砂が流れて渓畔を痛めつけたと思います。十方山林道沿いのブナ林は、そういう中で何とか耐えてきた渓畔林です。だからこれ以上の、流域の地形や植生の入為的な改変に耐えることのできる保証は全く無い。

 「水際」ということからすると渓畔と湿原は非常によく似ています。たとえば芸北町では八幡湿原の保全に取り組んでおられますが、急速に陸化が進んで木が生えてくるのを伐って、なんとか形だけでも湿原を維持しようということになってしまっています。なぜ陸化するスピードが非常に速いかといいますと、それは八幡湿原に流れ込む流域を開発するために伐採しているからです。最初に浸透能のことでお話したように、流域を手つかずの森林にすれば湿原に入ってくる水の量は維持されます。ですから開発を止めるということが、湿原保全のための最良の対策だと思います。

●十方山林道とその周辺の森林を保全する意義

 ここまでお話したように、十方山林道沿いに広がるイヌブナの渓畔林は、森林生態学からみて非常に貴重な、そしてデリケートなブナ林でず。だから私たちはここを保全していかなければなりません。なぜ、どう保全するのか私の考えを述べてみます

なぜ保全するのか

●1.中国山地に唯一残る、広域に手付かずの渓畔林を伴う自然(イヌブナ)林であるから

 まず第一に中国山地で唯一残る、完全な原生林ではありませんが、広域の手つかずの渓畔林を伴うイヌブナを中心とする「工コトーン」(斜面から渓流に至る生態系)だということですね。自然の渓流とイヌブナ林を持つ「エコトーン」が、これだけの距離、面積で維持されているのは、中国山地では他に無いと思います。唯一の、残された最後の聖地だと言っていいと思いますね。伐採されて非常に細くなっていますから、聖地にしてはちょっと心細いんですが、渓流と周辺の森林がセットで残っているというところはここしかない。

●2.広島市を含む下流住民の水源、太田川の水源の森であるから

 広島市を含む瀬戸内沿岸の百五十万を超える方々が太田川の水を分けてもらって生活しています。その最上流域、水源であるということですね。最初にお話したように、水源の森というのは、やはり人工林だと間題がある。手つかずの自然林にするのがベストです。

●3.最も質の高い自然観察・環境教育の場として活用すぺきであるから

 自然というものはどういうものなのか、未来永劫、私たちは勉強していかないと行けません。人間に自然のシステムなんて分かっていると思ったら大間違いで、ほとんど分かっていないと思った方がいい。そういう自然を、手つかずの自然を我々は遺して、いろいうとそこから学ぱなくてはいけない。そういう場所は中国山地にはほとんどなくなってきている。渓畔林として残っているのはここしかありません。これを失ったら我々は、永遠にその素晴らしい渓畔林から学ぶことはできなくなってしまう。そういう位置付けで、きちっとした管理・自然保護のもとに、ブナ渓畔林の活用を図っていくべきではないでしようか。そしてこれだけの自然をできるだけ手付かずの形で保全することこそ、吉和村を中心とした地域の振興に、とても大きな可能性を持っていると思います。それではどう保全すべきなのか──。

どう保全するのか──十方山林道の未来への提言

●1.中四国で唯一の渓畔林を持つブナ帯域自然として手付かずの状態で保全する

 中国地方で唯一の、渓畔林としてのブナ帯を、手つかずな状態で保存します。この「エコトーン」を保全するために、十方山林道については現状の林道を補修し、アスファルトによる舗装や拡幅は行わずに、車の離合を可能にするようにポイントを簡単に整備するぐらいが限界ではないかと思います。それ以上の工事を施すと、渓畔林そのものが壊れてしまう危険性があります。

●2.原生(的)自然の価値を活用する──「西の白神山地」に

 渓畔林を手付かずのまま保全して、その原生的自然の価値を活用します。徒歩を原則とする自然観察、散策ルートとして整備します。現地ではせいぜい休息所やトイしや雨宿りするようなところ、それから案内板の整備くらいにとどめます。

 そのかわりに、ガイド体制を確立します。アメリカなどの国立公園では、もちろん自動車は入れませんし、ゴミの量や、一日に入る人間の数まで制限して、本当に人が一人入るのがやっとみたいな道を三日、四日かけて歩くような、そういうトレッキングのルートを造っています。私たちが本当の意味で自然との共生や、自然というものの恵みを学ぶには、人間が自然の中にそっとお邪魔するというスタンスでなければなりません。

 そのために、偉大な自然の学習、あるいは自然体験のためのガイド体制を確立します。全国から人が来て、楽しみながら、自然を学びながらトレッキングできるよう、ガイドを養成します。十方山林道の渓畔林は、ほんものの自然を知って帰ってもらえる、自然の怖さや、恐ろしさ、素晴らしさを学ぶことのできる、そういう価値のある場所です。

 私たちはこれからの自然観察、環境教育はどうあるべきか、もっと真剣に考えなければならないと思います。都会の人間が車で乗リ付けて、自然の中でも都会的な生活をしようとする、これは自然との共生ではなくて、破壊そのものです。こんな発想からは、自然との共生のあり方や自然とか何かを見きわめようとする思想は絶対に生まれない。

 しかし現実には、「エコツーリズム」というキャツチフレーズのもと、十方山林道の近くにもそういう類のキャンブ場が造られています。先ほどご紹介した聖湖畔の別荘地も同じです。自動車で乗り込んで、近くにホテルや別荘を建てて都会の生活を持ち込んで、ああ美しいな、こんな環境教育はありません。これを非常に繊細な渓畔でやったらたまらない。貴重なエコトーンそのものを失ってしまう。ですから、そういう発想の延長で、十方山林道を観光のためのアクセス道路にするといった類の話は、唯一残された聖地としてはふさわしくありません。渓畔のブナ林をまもっていくには、せいぜい徒歩で散策するぐらいがいいところです。

 私は、十方山林道周辺のブナ林は、自然保護地域としてしっかりしたスタンスを持って管理していくことで、西の「白神山地」と言えるくらいの価値を、全国にアピールすることのできるブナ林だと思つています(写真7)。将来的には周辺の人工林を自然林に戻してやって、自神ブナ林と同じレベルの自然保護地域にしていく方向で考えていく、それだけの価値があると思います。

 そうすれば、吉和村にとって最高の観光資源になるのではないでしょうか。本当に手つかずの森林・自然を、自然探索などで享受していけるようなシステムを、吉和村が中心になって作っていけば、これはすごい観光資源になる。

 こんなに素晴らしい自然があるんだということを全国的にアピールします。遠く離れたところに宿泊施設を整備します。吉和村の中には、宿泊に適した場所や施設はすでにいくらでもあると思います。また、自然史の博物館が広島にはないですから、博物館的なものとドッキングさせてもおもしろいですね。

 そうすれば、それは吉和村にとっても、十方山林道を安易に広域観光のルートにしてしまうよりはるかに長続きできる、実り多い地域振興策になるはずでず。


写真8.十方林道と渓畔林

●3.水源の森の機能強化として人工林から自然林へ樹種転換する

 現在のところ、十方山林道周辺域には広大な人工林がある、林業のことはどうするんだという問題があります。最初にお話しましたように、この地域の人工林は生長が悪くて、採算牲が疑われています。むしろ経済的にも将来的には材生産としての林業を行わない方が得策だと思います。それから、この地域は水源涵養保安林に指定されていますが、水源の森の機能の強化ということからすると、速やかにもとの自然林に戻した方がいい。

 自然林に戻すには、最初にお話したように、当面強間伐して針広混交林にしてしまえぱ、あとは何をする必要もありません。間伐した樹木を林道に運び出そうとすると、ワイヤーで出したとしても渓畔のブナ林を相当傷めてしまいます。また、現状では伐り出すとかえってお金がかかってしまいます。ですから伐リ倒しでいいと思います。伐り倒しでも、財政的な補助は出ますし、治山的にも伐り倒しでもよほどの急傾斜でなければ間題はありません。現在は森林ボランティア活動が盛んですから、ボランティアを募って間伐してもいいかもしれません。

 細見谷の流域は、ブナ渓畔林を中心にして、ほとんどが国有林ですから、少なくとも国有林の部分については、これからの水源林の管理のあり方のモデルケースとして取り組んでいくことは難しくないのではないでしょうか。

●4.野生生物(ツキノワグマなど)の聖域とする・野生生物と共生する活用のモデルとする

 渓畔林を保全して、流域を自然林に転換していくことで、野生生物の聖域とすることができます。ここはもともとツキノワグマを中心とした野生生物の聖域だったのを、大半を人工林にしてしまった。そのことでクマなどは棲みかを追われて里へもおりてきた。そういう意味では、速やかに自然林に返してやって、本当に野生生物との共生、聖域として完全保護区域にするべきではないかと思います。大部分が国有林なのですから、不可能ではありません。

おわりにかえて──

●大規模林道では自然を本当に守り、活かすことはできない

 私なりの提案を述べてみましたが、手付かずの自然を本当に活かしていくことで、十方山林道は地域振興にとってとても大きな宝になると思います。ところが、現在この十方山林道を、大規模林道として高規格化しようという計画があります。大規模林道というのは、緑資源公団(旧森林開発公団)が昭和40年代から進めている、日本列島の背骨を縦断する二車線7メートル幅の舗装道路を広域的な林道として建設する事業です。太田川流域でも、東から、戸河内町横川まで工事が進んでいます。この大規模林道計画のルート上に十方山林道があります。

 近年の公共事業の見直しや、財政改革、自然保護運動の影響で、十方山林道の大規模林道化の計画も変更され、現時点(2001年9目28日時点)では渓畔林の部分は原則として拡幅せず、イヌブナなどの巨木は伐らずに舗装のみを行い、その他については5メートル幅に拡幅、舗装することになっています。しかしそれでも私は、この事業が実現されれば、あの稀有なイヌブナ渓畔林が取り返しがつかないほど破壊されてしまう危険性が非常に高いと感じています(写真8)。また、大規模林道事業自体が林業にとって必要な物なのか疑わしい、あの素晴らしい自然を活かすどころか殺してしまうことになるのではないか、と危惧しています。今日のお話のしめくくりとして、この事業の間題点を指摘しておきます。

●1.渓畔林に沿う林道工事は繊細、かつ貴重な渓畔域への少なからずの撹乱は避けられない

●2.斜面と渓流をつなぐエコトーンヘの撹乱による、両者の断絶の拡大 

 先ほどもお話しましたように、渓畔の自然林というのは、非常に繊細です。ちょっとした工事でも、生態系に及ぽす影響というのは非常に大きい。土砂が流れることもありますし、「水みち」が変わることで渓畔の生態系がダメージを受けることがあります。前にお話した聖湖のカキツバタがいい例です。

 道路工事をすることで、エコトーンが撹乱され、斜面と渓流の断絶が行われてしまう。いまは砂利で固めた、どこから道でどこから渓畔か、境界が分からなくなるぐらいの形だから影響が少ないんですが、アスファルトではっきりした道を造るということは、たとえ幅が数メートルであっても高速道路を造るようなもので、断絶を造ってしまう。微妙な水位によって保たれている植物群落、水生昆虫、魚介類は致命的なダメージを受ける可能牲があります。ですから、生態学的にみて非常に貴重な、唯一中国山地にまとまっているエコトーン、渓畔生態系に対して致命的なダメージを与える可能性があります。巨木は残しても、どうしても工事のために下草からブナなどの若木を伐るところも出てくる。その影響も少なくない。

 図10はある湿原の例でずが、1940年にわずかに人が通れる道を湿原の真中に造った。その二十六年後、道のまわりが陸化して裸地化しまっている。さらに、五十年後には、裸地したところに新たに川ができている。この流域は開発されていなんですが、要するにこの一本の道を造るということが、この湿原全体を駄目にしてしまった。本当に微妙な水の流れが、一本の道を造ることによって「水みち」が変わる。その多少の変化が結果的に水位を下げてしまう。そうすると道のまわりで裸地化が進み、その裸地化したところで、新たに川ができてしまう。尾瀬では木の板を置いて、絶対に人が下におりないようにしている。せいぜいそれくらいしかできない。こんな遊歩道を造ると、「水みち」をきってしまいます。渓畔での工事はまさにこれと同じです。湿原と渓畔は同様に考えてもらっていい。

 だから本当は、渓畔のためには道が無い方がいい。でももう造ってしまっているし、現状では自動車も通るでしょうから、ある程度穴ぽこを防いでいく、そういう意味での整備は必要です。しかしアスファルトやコンクリートは危険です。舗装工事というのは表面にアスファルトを塗るだけではあリません。数十年前に造った元の林道を舗装するには、下ごしらえ、基礎工事をしっかりやらなければならない。それはみなさんも身近な舗装工事をご覧になれば分かることだと思います。だから、下の地下水の流れ、水の流れを大きく破壊する可能性があります。それが一番大きなダメージでしょう。山体と渓畔との間が完全に破壊される危険牲がある。渓畔に対する影響はものすごく大きい。

 もちろん最初に林道を造る時にもずいぶん壊したと思います。だけども今の渓畔林は、それでもなんと残ったところなんです。それを、現在の林道から土砂が流出するから、それを防ぐために舗装をずすればいい、という単純なものではありません。いまの林道の状態で、集中豪雨を何度も経験しながら、もう何十年もなんとかバランスが取れていたところに、舗装によって断絶を作ると決定的なダメージを与える可能牲がある。それを取戻すには何年かかるか。大きなリスクをかかえます。

●3.林業施業のための伐採木の持ち出しの際、人工林〜林道間の自然林への多大な撹乱は免れない。また、ここでの材生産としての林業は採算性が疑われる

 それから林業施業を目的とした場合、伐採木を持ち出す際、自然林の多大な撹乱は免れません。たとえば、スギを伐って林道に出すために、必ず渓畔林を通るわけですね。そうすると渓畔林が少なからず傷めつけられてしまいます。さきぽど申しあげたように、間伐して持ち出してもお金にはなりませんから、問伐は伐り倒しでいい。

 それでは林業の目的である材生産で、元が取れるか。この地域については計算はしていませんが、いまの太田川流域での林業の状況から常識的に考えて、大規模林道建設にかかる数十億のお金を、将采の材生産でとてもペイできるとは考えられません。このことは机上の計算ではなく、現地の実状に合わせてきちんと計算して評価すべきです。極論すれば、どうしても伐採木を持ち出したいのなら、数十億のお金があるのなら、渓畔林をまもるためにヘリコブターで持ち出ずのが一番いい。だけどおそらくそれも採算が含わない。だったら、繰り返しになりますが、図11に示すように、ここはほとんどが国有林で水源涵養保安林ですから自然林に移行して、それをほんものの自然探索林、観光資源として活かしていった方がはるかに得ではないでしょうか。

●4.広域観光やスキーのアクセスルートはすでに存在するし、失うものが大きすぎる

 吉和村と恐羅漢山やスキー場を結ぶアクセスルートはすでに存在します。アクセスルートを一本増やすことで、地域の重要な観光資源を失う危険性があることを、よく考えるべきだと思います。

 十方山林道の周辺は、渓畔自然林、水源の森として、できるだけ手付かずの方向で管狸していけば、東北の白神山地に並ぶだけの価値があり、観光資源としても地域振興の大きな宝になり得ます。ブナ林の未来について、吉和村だけでなく、太田川の恵みをいただく流域全体の間題として慎重に議論すべきではないかと思います。これで終わります。今日はありがとうございました。■



引用文献
・中根周歩 水源涵養林としての自然林の効用について(農業情報、1994)
・「太田川新聞」(仮称)発行準備ニュース第8号2000
・「環・太田川」、2001年7月号別冊
・国松孝男 森林伐採による栄養塩類の挙動と流出 第18回琵琶湖研究シンボジウム「森林伐採が環境に及ほす影響」15124(琵琶湖研究所、2000)
・土地分類基本調査(木都賀・三段峡)広島県、1991
・中村太士 流域一貫──森と川と人のつながりを求めて──。築地書館、1999
・持田幸良 日本生態学会1991年大会講演要旨集より、1991




(c) Kaneyuki Nakane, digital graphics by Masanobu Ohuchi 禁無断転載 


本講議録は『環・太田川』2002.1.10に掲載された中根先生の原題「水源の森を考えよう」を
新たに再構成したものです。著作権は中根先生及び『環・太田川』編集部にあり、転載には許可が必要です。