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ジャングルと海 Jungle and Sea 〜2001タイ採集紀行〜
文と絵:大内正伸 Masanobu Ohuchi





2日目「スコールの洗礼」
Be baptized by squall

いざ出発

 ホテルのレストランで朝食を済ませる。バイキング式だが,その種類がタイ風,日本風,洋風と豊富に分かれていて,オレはタイのお粥と,生の野菜サラダを取ったりした。ウエイトレスの女の子の顔に惹かれ,タイ人の1パターンを表現している気がして,食後にスケッチブックを開いてシャーペンを走らせる。

 いよいよ出発だ。ゴルフさんとラーチンさんの車2台に分かれ,荷物を屋根に縛り付ける。チャラン先生,S氏,Tさんはゴルフさんの乗用車。ケン,僕,タッちゃんはラーチンさんの韓国車のバンに乗り,出発する。

 バンコックの朝はすごい車の波だ。おまけにみな飛ばす飛ばす。信号機が少ないせいもあろうが,まるでカーレースの中に入ったみたいだ。三輪車のタクシー「トゥクトゥク」が,ノーヘルのバイクが,車の間をすり抜ける。ピックアップトラックの荷台に人を乗せた車が,80kmくらいのスピードでがんがん走ってる。排気ガスと騒音の中,道々には食べ物屋の屋台が並び,早くも人々が集っている。ケンに聞くと,タイの庶民はきちんとした食事時間があるわけではなく,いつも誰かしらが屋台で食べている風景が見られるという。信号で止まれば,小さな子供がジャスミンの花束や,新聞を売りに車に近寄ってくる。多少の前知識を得ているとはいえ,なにもかもが初めてのオレにはびっくりすることばかりだ。

「すごいっしょ,大内さん」

 街のむんむんする朝の熱気に見とれているオレを,タッちゃんの解説が追い討ちする。ケンは陽気なラーチンの会話に,これまた陽気にあいづちを打っている。

 市街を抜けると湿地帯のようなところを走っていく。沼地に白いハスの花が見える。それも広大な広さだ。タイの人は花を愛する。花売りの一輪車を見かけたし,街かどやホテルの中にも水瓶に花を浮かべたような飾りが見られる。

 途中,ガソリンスタンドで小休止。スタンド横にはケンタッキーやコンビニもあったりして,タイにもアメリカの風がやってきているのだと思った。ampmでコーヒーを飲む。タッちゃんやS氏は街灯の下に昆虫は落ちていないか探したりして,早くも虫屋になりきっている。ラーチンさんは「オオウチ!」「ST!」「S!」「T!」と積極的に話しかけるが、オレは英語が不出来なのと,気後れしてしまって,どうしても会話にならない。なんだか申し訳なくなってきた。

 天気は不安定で時折強い雨がフロントガラスを叩く。採集調査の成果は天候に大きく左右される。ケンがインターネットで調べた世界の天気では,タイ南部は今日まで雨で,明日からは回復するとの話しだが……。オレはといえば,窓の外にいつも釘付けで,それを眺めているだけでも十分満足しているのだ。道々に現れる人,民家,商店,樹木,農地。興味や疑問が浮かぶたびに,前の席のケンに名前を聞き,それをメモっている。出発直前に買ったコンパクトカメラも順調に動いてくれている。デジカメとノートパソコンを持参しようかなとも思ったのだが,湿気が強いし電源がうまくとれない可能性がある,とのことでやめたのだ。今回はこのカメラと小さなスケッチブック,それに固形水彩絵の具がオレの仕事道具だ。


人工林を見て

 木と森が好きなオレは,どうしたって樹木に目が行ってしまう。南国的なヤシ類ばかりか,日本では見られない樹形のものや,気根をぶら下げる樹,ぎょっとするような大形の葉っぱの広葉樹も目についた。それらの印象を,車の中でメモ書きしているのである。

 森林ボランティア──市民が日曜日に林業を手伝う,という遊びに嵌まり、日本の人工林問題に目を向けるようになり,自分のグループまで立ち上げて林業体験・林地見学などのイベントを主催することまで始めたオレは,いま林業雑誌に新しい間伐法の連載を持つまでになってしまった。その必要性に迫られて昨年ホームページを立ち上げたが,これがことのほか便利で効果的であり,オレの活動にはなくてはならないアイテムになった。

 このタイ旅行もホームページで告知しているので,帰国したら日記のコーナーにタイ紀行を流そうと思っていたのである。また,ケンとの約束で,今回のタイ旅行記を、水戸昆虫研究会会報『るりぼし』誌上に書くという条件つきで,虫に関して長年のブランクがあるオレの参加がゆるされたのだ。まあ〆切りも何もない気楽な約束なので,取材にはそれほど力むつもりはなく,半分は骨休みの旅のつもりだったのだが,バンコックに入ったとたん,タイ料理を食べたとたん,オレの取材欲に火がついたってワケだ

 道々の木々には畑の境界に植えられた杉のような針葉樹や,チークや,ラバーツリーと呼ばれるゴムの木,それにユーカリなど,人工林もたくさん見られる。それらはおよそ畑のような感覚で植えられており,林床に下草や雑木はほんど見られず,森林とは呼べないしろものだったが,あとでチャラン先生に聞いたところ、木の成長が日本とけた違いに早いことが分かって納得した。「木の畑」として成り立つ生育条件なのだ。それでも連作障害を避けるための工夫や,施肥がなされているようである。

 日本にも人工林があり,斜面にスギ・ヒノキなどが植えられている。戦後の拡大造林で国土の全森林の4割以上が人工林になっている。むかしオレの通った採集地,茨城県北の花園山も例外ではない(以前,土地の古老に聞いたところ,花園には実に多くの樹種の,原生的な樹海が広がっていたというが,今その多くはスギ・ヒノキの人工林に変わってしまった)。日本の人工林は管理不足で間伐(木の間引き)が遅れ,下草が生えず,表土が流出しているところがあるなど,治山・治水の面から施業に緊急を要するところが増えている。しかし輸入材に押されて管理放棄する山林所有者が大勢を占め,国有林も同じく,経営破綻で手入れが追い付かないのが現状だ。根本から林業のスタイルを考え直さないといずれ大変なことになる。オレがいま林業雑誌に連載している間伐法は(注:当時『林業新知識』誌上に「鋸谷式 新・間伐マニュアル」連載中だった),その決定打ともいえる解答だと思っている。つまり,大きく間伐して,雑木を侵入させ,経済林と環境林を両立させる施業法なのだ。誰にでも解りやすい選木法が特徴であり、どうしようもない荒廃林には「巻き枯らし」という解決策が用意されている。

 オレのイラストレータの名刺には,斧と木の切株が描かれているが,昨夜それを見たチャラン先生は「木を伐るのはよくないのではないか」と名刺を眺めながら言っていた。オレは木を間引いて林床に光を入れないとダメになってしまう山が,日本には1000万ヘクタールもあるのを,拙い英語でどのように説明したらいいのか途方にくれて,そのまま黙ってしまった。


カブトガニのランチ

 昼食のシーフードレストランでは雨は上がってくれていた。ラヨーンという町の海岸にある店でひと休み。

 ココヤシの向こうにタイの海が広がる。雨風で濁っているのだろう。ミルクを溶かしたような淡いグリーンの海だ。街道にズラッと並ぶ店先に水槽がおいてあり,カニや魚が泳いでいる。風の中,ミカドアゲハのようなチョウが横切って,道の向こうに消えて行った。

 ここで昨晩の宴会で話題となっていたカブトガニを食べる。日本にも少数生息し,生きた化石として天然記念物に指定されたりしているが,ここではごく当たり前の食べ物のように,魚なんかといっしょに炭火で焼いているのである。これはメスの卵を食べるのが主目的のようだ。仁丹玉よりやや大きめのぷりぷりした卵を食べるのだが,カニと鶏のゆで卵をたしたような味だった。

 トムヤンクンも食べた。昨日の店とはまたちょっとちがった味だ。トムヤムは世界の3大スープの一つと言われており(他の2つは中国のフカヒレと西洋のコンソメ。まあオレとしてはかつお節+昆布だしのおすましを入れて4大スープとしたいところだ),ココナッツミルクやナムプラやタイレモンをベースにした辛いスープだが,これを注文すればその店のレベルがおおよそ分かるという。

 クンというのはタイ語でエビのことだ。この他の鶏や魚のトムヤムもポピュラーである。いくつかの魚や野菜の炒め合わせや焼飯も食べる。タイの米はいわゆるインディカ米といわれる細長いぱさぱさの米だが,これはお粥にしたり焼飯にすると俄然その本領を発揮する。焼飯にはエシャロットのような生のネギとタイレモンの切ったのやキュウリが必ず別皿で付いてくる。食べあわせの知恵なのか,こんなところにタイの食文化のすばらしさを感じる。

 オレはまたしてもグリーンチリを齧ってしまった。ガーンと頭を殴られるようなもの凄い辛味で,ビールで舌を洗っても辛味が治まらない。口を開いたままハヒハヒ言ってると,よだれがぼたぼた落ちてくるのだ。タイチリ(生のトウガラシ)には赤と緑のがあり,グリーンの小さなものは恐ろしく辛くて「グリーンダイナマイト」の異名があるとチャラン先生が教えてくれたが,チャラン先生は2つぐらい口に入れて平気で齧っている。ラーチンさんは笑いながら,彼は「クロコダイル・タン(ワニの舌)なのだ」などと言っている。

 食事のあと,マーケットに移動して,夕食の買出しをする。ラーチンさん,チャラン先生,それにケンが物色していくのを,カメラで追いながらついていき,小魚をさばいているおばさんをスケッチしたりする。マーケットの雰囲気がすばらしくてぞくぞくしてしまう。カメやナマズの生きたのも売っていたりするのだ。ブラッカポムという日本のアカメに似た魚,生イカ,淡水テナガエビを買い,果物はランプータンとバナナを買う。バナナはその場で食べた。きめ細かな味で実に美味しかった。

 



ジャングル・コテージの夜

 目的地のカンボジア国境の町,チャンタブリまで約300km。途中スコールの洗礼を何度も受けながら,ラーチンさんはぐんぐん車を走らせる。やがて道に登り勾配が現れてきて,林道への入り口を曲がった。

 夕刻,土砂降りの雨の中、ついに目的地のコテージに到着。霧と雨で周りはよく分からないが,果樹園とジャングルに囲まれていることは確かだ。ごうごうと川の音がする。車を降りて,皆で雨の中荷物を部屋に運び込む。

 部屋は2つ,ベランダが庭にはり出して,そこがダイニングテーブルとなる。8丈間くらいの板の間にマットが敷いてあって,そこがわれわれの寝室だ。トイレとシャワーの部屋が隣接し,このトイレは東南アジア諸国に共通の,水でお尻を洗うというタイプのもの。蛇口からの水の出が悪いので,水槽やポリバケツに水が溜めてある。

 七輪に炭をおこし,魚やイカを焼いて夕食の準備を始める。七輪は日本のよりも大形で上側がやや広がっているものだ。マーケットで買った炭を入れて火を起こす。炭はナラ炭のようなものから角材の端切れを炭にしたようなものも混じっている。女性のゴルフさんが調理の主導権を握るのかな,と思ったら,てきぱきと動き出して指示し自らも調理するのはラーチンさんだ。大声で,ときおり鼻歌などを歌いながら,魚を焼いてくれたりしている。オレも興味のままイカを焼いたりするのを手伝うが,ワタを捨てようとしたらチャラン先生に止められて「そこが旨いのだから捨ててはいけない」という。たしかにこのヤリイカに似たイカの内臓には白子のようなものがたっぷり入っていて,なかなかの味なのであった。

 宴会が始まり,電気が灯るとヤモリやトッケイ(大形のヤモリの仲間で美しい斑点をもつものがいる)がやってきて,電燈に集まる虫を食べはじめる。雨降りだというのにいくつかの昆虫類が飛んでくると,われわれは目を輝かせ,早くも毒瓶を取り出すものもいる。宴もたけなわの頃,大形のコオロギがやってきた。体長55mm,触覚が17cmもある。標本用に切開したら,中からなんと30cm以上もあるハリガネムシが出てきてさらに驚いた。コオロギはタイ語では「ティングリー」だとチャラン先生が教えてくれ,ラーチンさんが「S! ST! 分かるか?」「ティングリー! ティングリー!」と大声で連発しながら,クイッと足を曲げておかしなポーズを取る。オレは笑いをこらえながら,ラーチンさんが英語に不馴れで会話にならないわれわれを,なんとか引き込もうとサービスしてくれているのか? と思ったが,後にもラーチンさんのギャグにわれわれは腹を抱えて笑うことになるのだ。

「んじゃ,こちらもそろそろ……」

 と,オレはやおらギターを取り出した。そのギターは旅行用にデザインされたもので重量は1kgちょっとしかない。北海道から四国,九州まで連れていった旅の友だ。今回は湿気の多いジャングル行で躊躇したけれど,なにしろ10日近くギターに触れないというのも辛い。飛行機の中は手荷物で持ち込んで抱えてきたのだった。

 かつてオレのテーマソング浜田省吾の「路地裏の少年」をケンを交えて歌い,次いでオレのオリジナルソング2曲を歌った。最近オレは、自作の紙芝居『むささびタマリン森のおはなし』というのを作って各地で公演したりしているのだが,紙芝居もさることながら,そのテーマソング2曲がまたけっこう評判なのだ。

「これは日本の森のために,大内が作ったオリジナルソングである」とのケンの説明に

「彼はいったい何者か?」

 ラーチンさんらは目を白黒させている。

 うーん,一応イラストレーターでデザイナーで,それに森林の研究ライターでもあり……。説明が面倒になったケンは「彼はアーティストだ」の一言で納得させた。その後はふたたび飲めや歌えやの大騒ぎ。タイ語と英語と茨城弁が乱れ飛ぶ。

 こうして初日のジャングル・コテージの夜は,雨の中ますます盛り上がりをみせていったのである。■


         




▲写真
1)サイドカーとバイクのおばちゃん
2)タイの国道3号線。スギに似た針葉樹が植えられていた
3)中央がカブトガニ
4)われわれの泊まったジャングル・コテージ



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